
清浄光明ならびなし 遇斯光(ぐしこう)のゆゑなれば
一切の業繋(ごうけ)ものぞこりぬ 畢竟依(ひっきょうえ)を帰命せよ
(浄土和讃)
阿弥陀仏の清らかな光に並ぶものはありません。この光に出会えば一切の悪い行いも、その力が失われます。畢竟依(ひっきょうえ)に帰命するがよい。
※畢竟依とは、すべての人の究極の依りどころということ
南無阿弥陀仏
埼玉県寄居町にある浄土真宗の「庵」(小さなお寺)です。法要・仏事・文化教室など、お気軽にご利用下さい。

清浄光明ならびなし 遇斯光(ぐしこう)のゆゑなれば
一切の業繋(ごうけ)ものぞこりぬ 畢竟依(ひっきょうえ)を帰命せよ
(浄土和讃)
阿弥陀仏の清らかな光に並ぶものはありません。この光に出会えば一切の悪い行いも、その力が失われます。畢竟依(ひっきょうえ)に帰命するがよい。
※畢竟依とは、すべての人の究極の依りどころということ
南無阿弥陀仏

光雲無碍如虚空(こううんむげにょこくう) 一切の有碍(うげ)にさはりなし
光沢かぶらぬものぞなき 難思議(なんじぎ)を帰命せよ
(浄土和讃)
輝く雲のように広がる阿弥陀仏の光は、どのような煩悩ににも妨げられることがありません。その光のはたらきを受けない者はいません。はかりしれないはたらきの難思議に帰命するがよい。
※「難思議」とは「不可思議」の意であり、阿弥陀仏の別名です。
南無阿弥陀仏

寄居駅、JR八高線のプラットホームから望む「寄居町役場」です。
駅前にあるので便利です。田舎町ですが、立派な庁舎です。

今どんなに美しく咲いている桜でもいつかは必ず散ります。
江戸時代の曹洞宗の僧侶で、歌人でもあった良寛和尚の歌です。
無常にも時間は止めることができません。限られた「いのち」の中で、如何に日々を生きていくか、悔いの残らないようにすることが大切だと思います。
私たちは阿弥陀さまのお救いを頂き、喜怒哀楽の中にも充実した生活を過ごさせていただいております。有り難いことです。
南無阿弥陀仏

解脱の光輪きはもなし 光触(こうそく)かぶるものはみな
有無をはなるとのべたまふ 平等覚に帰命せよ
(浄土和讃)
阿弥陀仏のさとりの光は果てしなく照らします。その光を受ける者は、みな有無の邪見を離れると言われています。すべてのとらわれを離れさせる平等覚に帰命するがよい。
南無阿弥陀仏

智慧の光明はかりなし 有量(うりょう)の諸相ことごとく
光暁かぶらぬものはなし 真実明に帰命せよ
(浄土和讃)
阿弥陀仏の智慧の光明は、はかりしれません。迷いの世界の者で、その光に照らされない者はいません。真実の智慧の光である真実明に帰命するがよい。
南無阿弥陀仏

弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまへり
法身の光輪きはもなく 世の盲冥をてらすなり (浄土和讃)
阿弥陀仏は、仏となってから既に十劫(じっこう)の時を経ました。
さとりの身から放たれる光輪は果てしなく、迷いの闇にいるものを照らします。
※「劫」は長い時間の単位
三帖和讃(浄土和讃・高僧和讃・正像末和讃)は親鸞聖人が撰述された和讃です。
南無阿弥陀仏
花まつりとも呼ばれますが、お釈迦様の誕生をお祝いする仏教行事です。
日本各地の寺院ではお釈迦様の誕生日として伝えられる4月8日に誕生仏に甘茶をかけてお祝いします。宗旨・宗派に限定されず、浄土真宗の寺院でも開催されており、仏教では重要なお祭りとされています。
