幸福の鍵は、健康と健忘ね。

幸福の鍵は、健康と健忘ね。
イングリッド・バーグマン
(スウェーデン出身のハリウッド女優。1915~1982)の言葉です。

健康が大切なのは言うまでもないですが、嫌なことは忘れた方がいい。 起こってしまったこと、過ぎてしまったことは、 いくら思い悩んでも、もうどうにもなりません。 自分の出来る限りのことをやったら、 もう後は忘れてしまうことですね。

嫌なことは誰しもしばしばあります。全くない人はいないでしょう。
ちょっと難しい事かもしれませんが、くよくよせずに悪い事を忘れて前進あるのみです。私たちはいつも阿弥陀さまに護られています。いつまでも思い悩む必要はありません。

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仏光照曜最第一

仏光照曜(ぶっこうしょうよう)最第一 光炎王仏となづけたり
三塗(さんず)の黒闇ひらくなり 大応供(だいおうぐ)を帰命せよ
(浄土和讃)

阿弥陀仏の光は最も優れているから、光炎王仏と申し上げます。
その光は、地獄・餓鬼・畜生という迷いの闇の世界を打ち破ります。
あらゆる供養を受けるにふさわしい大応供に帰命するがよい。
※「大応供」とは阿弥陀如来の別名です。

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清浄光明ならびなし

清浄光明ならびなし 遇斯光(ぐしこう)のゆゑなれば
一切の業繋(ごうけ)ものぞこりぬ 畢竟依(ひっきょうえ)を帰命せよ
(浄土和讃)

阿弥陀仏の清らかな光に並ぶものはありません。この光に出会えば一切の悪い行いも、その力が失われます。畢竟依(ひっきょうえ)に帰命するがよい。
※畢竟依とは、すべての人の究極の依りどころということ

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光雲無碍如虚空

光雲無碍如虚空(こううんむげにょこくう) 一切の有碍(うげ)にさはりなし
光沢かぶらぬものぞなき 難思議(なんじぎ)を帰命せよ
(浄土和讃)

輝く雲のように広がる阿弥陀仏の光は、どのような煩悩ににも妨げられることがありません。その光のはたらきを受けない者はいません。はかりしれないはたらきの難思議に帰命するがよい。
※「難思議」とは「不可思議」の意であり、阿弥陀仏の別名です。

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散る桜 残る桜も 散る桜

今どんなに美しく咲いている桜でもいつかは必ず散ります。
江戸時代の曹洞宗の僧侶で、歌人でもあった良寛和尚の歌です。
無常にも時間は止めることができません。限られた「いのち」の中で、如何に日々を生きていくか、悔いの残らないようにすることが大切だと思います。
私たちは阿弥陀さまのお救いを頂き、喜怒哀楽の中にも充実した生活を過ごさせていただいております。有り難いことです。

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解脱の光輪きはもなし

解脱の光輪きはもなし 光触(こうそく)かぶるものはみな
有無をはなるとのべたまふ 平等覚に帰命せよ
(浄土和讃)

阿弥陀仏のさとりの光は果てしなく照らします。その光を受ける者は、みな有無の邪見を離れると言われています。すべてのとらわれを離れさせる平等覚に帰命するがよい。

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智慧の光明はかりなし

智慧の光明はかりなし 有量(うりょう)の諸相ことごとく
光暁かぶらぬものはなし 真実明に帰命せよ
(浄土和讃)

阿弥陀仏の智慧の光明は、はかりしれません。迷いの世界の者で、その光に照らされない者はいません。真実の智慧の光である真実明に帰命するがよい。

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弥陀成仏のこのかたは

弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまへり
法身の光輪きはもなく 世の盲冥をてらすなり (浄土和讃)

阿弥陀仏は、仏となってから既に十劫(じっこう)の時を経ました。
さとりの身から放たれる光輪は果てしなく、迷いの闇にいるものを照らします。
※「劫」は長い時間の単位

三帖和讃(浄土和讃・高僧和讃・正像末和讃)は親鸞聖人が撰述された和讃です。

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灌仏会(かんぶつえ)

花まつりとも呼ばれますが、お釈迦様の誕生をお祝いする仏教行事です。
日本各地の寺院ではお釈迦様の誕生日として伝えられる4月8日に誕生仏に甘茶をかけてお祝いします。宗旨・宗派に限定されず、浄土真宗の寺院でも開催されており、仏教では重要なお祭りとされています。

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