
解脱の光輪きはもなし 光触(こうそく)かぶるものはみな
有無をはなるとのべたまふ 平等覚に帰命せよ
(浄土和讃)
阿弥陀仏のさとりの光は果てしなく照らします。その光を受ける者は、みな有無の邪見を離れると言われています。すべてのとらわれを離れさせる平等覚に帰命するがよい。
南無阿弥陀仏
埼玉県寄居町にある浄土真宗の「庵」(小さなお寺)です。法要・仏事・文化教室など、お気軽にご利用下さい。

解脱の光輪きはもなし 光触(こうそく)かぶるものはみな
有無をはなるとのべたまふ 平等覚に帰命せよ
(浄土和讃)
阿弥陀仏のさとりの光は果てしなく照らします。その光を受ける者は、みな有無の邪見を離れると言われています。すべてのとらわれを離れさせる平等覚に帰命するがよい。
南無阿弥陀仏

智慧の光明はかりなし 有量(うりょう)の諸相ことごとく
光暁かぶらぬものはなし 真実明に帰命せよ
(浄土和讃)
阿弥陀仏の智慧の光明は、はかりしれません。迷いの世界の者で、その光に照らされない者はいません。真実の智慧の光である真実明に帰命するがよい。
南無阿弥陀仏

弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまへり
法身の光輪きはもなく 世の盲冥をてらすなり (浄土和讃)
阿弥陀仏は、仏となってから既に十劫(じっこう)の時を経ました。
さとりの身から放たれる光輪は果てしなく、迷いの闇にいるものを照らします。
※「劫」は長い時間の単位
三帖和讃(浄土和讃・高僧和讃・正像末和讃)は親鸞聖人が撰述された和讃です。
南無阿弥陀仏